※この文章は、ChatGPTが考えました。
人は、学校でどこまで学び、どのような成績を残したかによって、自分の能力を説明されることがある。しかし、その評価が、その後の人生まで決めてよいのだろうか。
前の記事では、教育を、現実に働きかける力を獲得する過程として捉えた。今回は、その過程をもう少し具体的に考えたい。学習の各段階で身に付くものは何か。そして、最初の教育機会でよい結果を残せなかった人は、どこから学び直し、再起を図れるのか。
本稿の中心となるのは、成績を「人間としての能力の最終判定」ではなく、ある時点の学習課題で示された、発達に関わる諸能力の技能的習熟の記録として読む、という視点である。
この読み替えによって、過去の評価は、将来を閉ざす札ではなく、これから学ぶ場所を見つける手掛かりになる。
一度の教育が、一生の評価になってしまうとき
学校で十分な成果を残せなかったことと、その人が今後も学べないことは、本来、別の問題である。
ところが、「数学が苦手だった」という経験が、「自分には考える力がない」という自己理解に変わることがある。さらに、周囲も過去の学歴や成績だけを見て、本人に何を任せられるかを決めてしまうなら、評価は過去の記録にとどまらなくなる。
ここで問題にしたいスティグマとは、ある時期の教育上の結果が、その人全体を低く扱うラベルへと変わってしまうことである。学べなかった内容が残るだけでなく、もう一度学ぶ資格さえないかのような扱いが生まれる。
私は、この問題を「もっと努力すればよかった」で終わらせたくない。学習に使えた時間、支援を受けられたかどうか、当時の生活条件などを問わず、結果だけを本人の本質として扱うことには無理がある。学習を環境や経験との関係で捉え、生涯にわたる過程として扱うことは、学習科学の研究総括でも重視されている。[1]
では、結果を無意味だと切り捨てるのではなく、それが何への習熟を示していたのかを、読み直すことはできないだろうか。
発達を、一本の序列ではなく、複数の能力の形成として捉える
そのために、ここでは特定の思想体系の段階名ではなく、発達心理学や認知・教育心理学で扱われる概念を使いたい。
取り上げるのは、記号による表現、具体的な関係の理解、抽象的な推論、自己調整、メタ認知、他者の視点の理解である。ただし、これらを、誰もが同じ順序で通過する一組の発達段階として提示するわけではない。それぞれの働きは重なりながら発達し、学習課題のなかでも組み合わされる。[1][2]
以下は、そうした概念を手掛かりにした、学習過程の読み替えである。「どの段階の人間か」を分類するのではなく、「この課題では、どの働きに習熟しようとしているのか」を考えるための整理だ。
学習の各段階では、何ができるようになるのか
記号による表現——目の前にないものを扱う
文字、数、図、地図などを使って、別の対象を表す。こうした象徴的な理解は、発達研究の対象になっている。たとえば幼児の絵や模型の理解を調べた研究では、記号を、それ自体とは別のものを表す存在として理解することが検討されている。[3]
教育に引き寄せれば、文字の形を覚えるだけでなく、その文字が何を指すかを理解すること、現物の個数を数で表すこと、文章を図に置き換えることへの習熟である。
手本を写せること、対象に合った記号を選べること、自分の意図を記号で伝えられることは、異なる到達点だ。ここで得られる力は、現物を直接動かしたり、相手の前に立ったりしなくても、考え、伝え、計画する力である。
具体的な関係の理解——手順を、意味のある操作にする
次に考えたいのは、数量や対象の関係を捉え、一定の規則に沿って操作する力である。
たとえば、計算の手順をまねることと、なぜその計算で答えが求まるかを、物や図で説明することは違う。同じ種類のものを分類し、順序を付け、条件に合うものを選び、操作した結果を確かめる。
この段階の学習課題を、私は、個々の答えを覚えるためだけでなく、対象同士の関係を安定して扱うための練習として読みたい。習熟を確かめるなら、例題の再現だけでなく、数字や配置が変わっても同じ関係を見いだせるかを見る。
そこで得られるのは、偶然うまくいくことに頼らず、一定の条件のもとで行為を再現する力である。
抽象的な推論——条件を変えて、可能性を考える
具体的な事物を扱うことから、仮定や関係そのものを扱うことへ。これは認知発達を考える重要な論点であり、古典的な研究でも、目の前の事実から離れて仮説的に推論する働きが論じられてきた。[4]
教育では、公式の適用条件を考える、複数の原因を区別する、反例によって説明を検討する、といった課題に重ねられる。
ここでの習熟は、難しい言葉を使えることではない。「この条件なら成立するが、別の条件では成立しない」と説明できることだ。同じ型の問題を解けるだけでなく、何を変えると解き方も変わるのかを捉える。
この力によって、与えられた手順を選ぶだけでなく、手順そのものを検討し、別の可能性を考えられるようになる。
自己調整——知っていることを、実際の行動につなげる
解き方を知っていても、着手し、必要な情報を保ち、途中で方針を調整できなければ、課題は完了しない。実行機能や自己調整は、目標に向けて注意や行動を組織し、必要に応じて修正する働きとして研究されている。[2]
教育との関係では、課題を小さく分ける、進み具合を確かめる、分からなくなったら質問する、といった力に注目できる。習熟が進めば、他者にすべての手順を決めてもらう状態から、自分で進め方を調整する状態へ近づく。
ただし、これを意志の強さだけの問題にしてはならない。メモ、予定表、道具、周囲の支援を使って実行可能にすることも、ここで目指す自立に含めたい。
メタ認知——自分の理解を、確かめ直す
メタ認知とは、自分の認知過程を把握し、点検・調整する働きである。自己調整と重なるが、ここでは特に、「自分は何を理解し、何を理解していないか」を確かめる側面に注目する。[2]
説明を読んで分かった気になることと、自分の言葉で説明できることは違う。答えが合ったことと、理由を理解していたことも同じではない。
習熟を確かめるなら、自分の誤りを見つけられるか、分からない箇所を特定できるか、別の学び方を試せるかを見る。この力は、教師や教科書が常にそばにいなくても、次に何を学ぶべきかを自分で決めるための足場になる。
他者の視点の理解——自分の理解だけで、世界を閉じない
他者が自分とは異なる知識や信念、欲求を持つことを理解する働きも、発達研究の対象である。「心の理論」の研究では、子どもが他者の心的状態をどう理解していくかが、複数の課題を通して検討されている。[5]
この概念を教育へ引き寄せるなら、相手が何を知らないかを考えて説明する、同じ資料への異なる読み方を比較する、意見の違いと事実認識の違いを分ける、といった学習を考えられる。
自分の説明を述べること、相手の理解を確かめること、それに応じて説明を組み替えることには、習熟の違いがある。ただし、これは心の理論の研究から、そのまま学校の成績への対応が証明されるという意味ではない。
ここで目指すのは、相手の心を正確に読み切ることでも、必ず同意することでもない。自分の理解だけでは足りないと認め、確認しながら協力する力である。
成績は、どの働きへの習熟を記録しているのか
この見方を学校教育に当てはめるなら、初等教育の課題では、文字や数量を使い、具体的な関係を理解し、基本操作を安定させる働きに注目できる。中等教育の課題では、概念同士を結び付け、条件や根拠を検討する働きが、より複雑な形で求められる。高等教育の課題では、専門分野の方法を用いて、自ら問いを立て、検討を進める働きを読むことができる。
これは、学校段階と心理学上の発達段階を一対一で対応させたものではない。教育課題が複雑になるにつれて、どのような働きの組み合わせが要求され、その遂行にどこまで習熟しているかを、成績から読み取ろうとする仮説である。
しかも、成績自体も単一の指標ではない。中学生を対象とした二つの縦断研究では、標準化テスト得点の変化と通知表の評定の変化では、IQと自己統制が予測に寄与する程度が異なっていた。少なくともこの研究では、テスト得点と評定は同じものを測っていなかった。[6]
したがって、低い成績から「その人は発達していない」と逆算してはならない。必要なのは、どの課題で、どんな条件のもと、何ができて何が難しかったのかを確かめることである。
たとえば、「一人では解けなかった」「手掛かりがあれば解けた」「条件の違う問題にも使えた」という記録なら、合計点だけよりも、次に必要な学習を具体的に考えられる。
高度な専門は、基礎全般の習熟を代わりに済ませてはくれない
ここから、基礎教養を広く学ぶ意味が見えてくる。
一つの専門で高度な推論ができても、別の領域で使う記号や基本概念を知らなければ、同じように行動できるとは限らない。学習の転移についての研究総括も、ある場面での学習が別の場面にどう生きるかは、理解の仕方や学習の文脈によって左右されることを論じている。[7]
この点から私は、基礎を全分野にわたって学ぶことは、専門へ進む前の準備にとどまらず、人生のさまざまな場面で、習得した力を実際に発揮するための条件になると考える。
文章を理解できても、数量を見積もれなければ判断は止まる。計算できても、前提となる社会の仕組みを理解していなければ、何を計算すべきかが分からない。どちらもできても、相手に伝わる説明を組み立てられなければ、共同の行動にはつながらない。
高等教育に教養教育がないということではない。問題は、一分野で高度な成果を上げたことを、基礎全般も習熟済みである証明として受け取ってしまうことである。
基礎は、できて当然のものとして背景に退きやすい。しかし、ある基礎が抜けている場面では、それが選択肢を決定的に狭めることがある。基礎教養の影響は、専門の仕事をするときだけでなく、生活全般に及ぶものとして捉える必要がある。
リカレント教育で回復すべきものは、三つある
では、最初の教育機会で十分な成果を残せず、スティグマを背負ってしまった人は、どこから再起すればよいのだろうか。
私は、学び直しが向き合うべき問題を三つに分けたい。まだ身に付いていない技能、「自分にも学べる」という見通し、そして、現在の力を周囲に認め直してもらうための機会である。
これらは同じ問題ではない。技能を身に付けても自信が戻らない場合もあれば、自信を持って学び直しても、周囲の評価が変わらない場合も考えられる。したがって、再起を、難しい資格を一つ取ることだけで説明するのは不十分である。
教育を通過儀礼と捉えるなら、学び直しとは、過去に不合格だった儀礼を、そのまま再受験することだけではない。現在の自分に必要な力を獲得し、それを自分にも他者にも確かめ直す、新しい過程を作ることである。
再起の出発点は、「苦手な自分」を具体的な課題へ分解すること
最初にしたいのは、自分の人格を評価することではなく、いまの習熟を確かめることである。
「数学ができない」という言葉を、そのまま出発点にしない。問題文の意味が読み取れないのか。割合を理解していないのか。式は立てられるが計算で間違えるのか。時間を区切られると、普段できる操作ができなくなるのか。
困難の内容が違えば、戻るべき場所も、必要な練習や支援も違う。「能力がない」という一つの評価を、学び直せる複数の課題へ分けていくのである。
同時に、学校外で身に付けた力も見落としたくない。仕事の段取り、家事での見積もり、人への説明など、すでにできている行為を出発点にして、それが教科のどの概念と結び付くかを確かめる。
基礎を網羅するという目標は、初日から全教科を同時にやり直すという意味ではない。言葉、数量、自然、社会、情報、表現といった主要な領域を見渡し、いまの生活で判断を止めている箇所から、順に足場を作る。
基礎へ戻ることは、子どもに戻ることではない。大人として身に付けてきた経験を使いながら、必要な部分だけを学び直すことである。
「自分にも学べる」という見通しを、達成の記録から作り直す
次に必要なのは、学習を再び始められる見通しである。
教育心理学では、ある課題を遂行できるという自分の能力への見通しを、自己効力感という概念で扱う。研究総括では、適切な目標の設定、難しい目標の分割、進歩についてのフィードバックなどが、学習への有能感を支える方法として論じられている。[8]
ここから学び直しへの提案として導きたいのは、最初から大きな勝利を目指すのではなく、達成を確かめられる小さな課題を設けることである。
昨日は説明を写すしかなかったが、今日は図にして説明できた。先週は割合を取り違えたが、今日は違う数字でも計算できた。こうした変化を、答案、説明文、作業記録などの形で残す。
間違いも、人格の失敗ではなく、次に修正する箇所として扱う。教材を変える、例を変える、時間の取り方を変える、教える人の助けを借りる。工夫によって前に進めた事実を確かめることが重要だ。
ここで目指すのは、「努力すれば必ず成功する」と信じ込むことではない。「この条件と方法なら、この課題は進められる」という、具体的な見通しを持つことである。
そのため、再挑戦や質問が許され、間違いをさらしものにされない学習環境を重視したい。同じ苦痛をもう一度耐え抜くことを、再起の条件にしてはならない。
学び直した力を、社会的な評価につなぎ直す
ただし、本人が変わることと、他者からの評価が変わることは別である。
過去の学歴しか見ない相手に対して、「今は勉強しました」と伝えるだけでは、再評価につながらない場合も考えられる。そこで、学んだ過程を、第三者にも確かめられる形にすることが一つの課題になる。
科目の修了や単位、目的に合う資格、制作物、実務での成果、指導者からの具体的な評価などを組み合わせる。重要なのは、肩書きを増やすこと自体ではなく、「何を、どの程度できるようになったのか」を説明できるようにすることである。
たとえば、情報分野を学んだなら、受講歴だけでなく、自分で作った資料と、その設計や確認方法を示す。文章を学んだなら、初稿と改稿を並べ、どのように論点を整理したかを示す。成果を出すまでの過程も、習熟の証拠にする。
学位の取得が必要な目標なら、それを選んでもよい。一方、学位全体を目指す前に、一科目から学ぶ経路もある。放送大学は、卒業を当初の目的とせずに科目を履修でき、修得した単位を後の卒業に生かす学び方を案内している。[9]
再起とは、過去の記録を消すことではなく、その記録だけでは現在の自分を説明できない状態を作ることだ。ただし、新しい成果を示しても偏見が消える保証はない。だからこそ、現在の力を見て評価する人や場へ接続することも、学び直しと切り離さずに考えたい。
再挑戦を、もう一度の自己責任にしない
リカレント教育を勧めるだけで、問題が解決するわけではない。
学習時間を確保できない人に、長時間の努力を求めることはできない。費用や移動の負担が大きい人に、学校へ戻ることだけを再起の道として示すのも不十分である。学び直しを実行できる条件まで含めて考える必要がある。
文部科学省の「マナパス」は、社会人向けの講座や学び直しの支援制度に関する情報を提供している。こうした情報を使い、学習内容だけでなく、受講形態、必要な時間、費用、支援の有無を確かめることも、学習計画の一部になる。[10]
受け入れる側にも、過去の学歴だけでなく現在の成果を見ること、段階的な修了や再評価の機会を設けることを求めたい。スティグマが他者との関係で生まれるなら、その解消を本人の内面と努力だけに任せることはできないからである。
そして、学び直した後にも高得点を取れなかった人を、再び劣った人として扱ってはならない。人の尊厳は、成績を上げた報酬ではない。教育が広げるべきなのは、人として認められる資格ではなく、その人が選び、行動できる範囲である。
基礎を学び直すことは、人生の可能性を開き直すこと
学習の各段階で獲得するものを、知識の量だけでなく、表現し、考え、実行し、確かめ、他者と関わる働きへの習熟として捉える。そうすれば、成績の意味も変わってくる。
それは、人生の一度きりの通過点で与えられた身分ではない。その時点で、ある条件のもと、どのような働きを発揮できたかという記録である。そこに不足が見つかるなら、学び直す対象として扱える。
専門を深めることには価値がある。しかし、一つの専門で高く到達したことだけでは、生活の各領域を支える基礎の習熟まで保証されない。基礎教養は、暗黙の前提として目立たないまま、現実に何ができるかを、人生のさまざまな場面で左右する。
だからこそ、基礎を広く確かめ直すことは、過去に成果を残せなかった人のための埋め合わせにとどまらない。すでに高度な専門を持つ人にとっても、自分の自由の範囲を確かめ、広げる学びになる。
再起とは、昔の自分より高い点を取ることだけではない。以前にはできなかった行為を可能にし、その変化を自分でも確かめ、他者にも認め直してもらえる道を作ることである。
教育は、人生を一度だけ判定するためのものではなく、人生を何度でも開き直すためのものになりうる。学び直しの意味は、その可能性を、現在の自分の手に取り戻すことにある。
参考文献・出典
[1]National Academies of Sciences, Engineering, and Medicine(2018)『How People Learn II: Learners, Contexts, and Cultures』Summary。生涯にわたる学習、環境と経験、複数の学習過程について。公開本文
[2]同書、第4章「Processes That Support Learning」。実行機能、自己調整、メタ認知について。公開本文
[3]DeLoache, J. S.(1991)“Symbolic Functioning in Very Young Children: Understanding of Pictures and Models.” Child Development, 62(4), 736–752。論文概要
[4]Piaget, J.(1972)“Intellectual Evolution from Adolescence to Adulthood.” Human Development, 15(1), 1–12。仮説的推論に関する古典的議論の参照元であり、本稿は年齢による一律の段階判定を採用しない。出版社による概要
[5]Wellman, H. M., & Liu, D.(2004)“Scaling of Theory-of-Mind Tasks.” Child Development, 75(2), 523–541。幼児の他者の心的状態の理解に関する研究。論文概要
[6]Duckworth, A. L., Quinn, P. D., & Tsukayama, E.(2012)“What No Child Left Behind Leaves Behind: The Roles of IQ and Self-Control in Predicting Standardized Achievement Test Scores and Report Card Grades.” Journal of Educational Psychology, 104(2), 439–451。論文概要
[7]National Research Council(2000)『How People Learn: Brain, Mind, Experience, and School: Expanded Edition』第3章「Learning and Transfer」。公開本文
[8]National Academies of Sciences, Engineering, and Medicine(2018)『How People Learn II』第6章「Motivation to Learn」、特に「Self-Efficacy」。公開本文
[9]放送大学「学位に関係なく、好きな科目だけを履修する」。公式案内
[10]文部科学省「資格取得やスキルアップ・学び直しに関するプログラム・施策等について」。公式案内/マナパス
心理学上の概念と研究結果を参照しつつ、教育段階・成績との対応付け、および再起の道筋は、本稿の考察として提示している。成績から個人の発達段階や人格を判定するものではない。
