あなたは彼のために、その家のために、また彼のすべての所有物のために周りに垣根を巡らしているではありませんか。あなたが彼の手の業を祝福するので、彼の家畜は地に溢れています。
ヨブ記1.10
大分時間が開いてしまった。というのも、特に何も思いつかなかったからだ。
グローバリズムの単一障害点を発見した
前にも少し書いたんだけど、学問の研究は普通に不正が行われるようになった現代でも、学問の教育は真面目にやっているように見えると記述した。これは公平な学習機会が万人に与えられているという意味ではなく、成績評価を権力伝授の指標として厳密に採用しているという意味である。
現時点では、教える内容についても真正と各々の講師が考えるものを伝達しているわけであるけれど、この点はもうすぐ変質してしまうだろう。各個人が好き勝手な事を提唱しはじめるという意味ではなく、権力者達にとって都合の良い学識を選択的に吹き込むようになる流れになるだろう。
グローバリストが教育という大義に賛同する理由
では、なぜ学問研究で滅茶苦茶やるのに学問教育は真面目に行うのかなんだけれど、これは単純にグローバリズムの性質に帰着されるだろう。前提として世界共通の「正しい」現実認識が必要なので、一定の規格に従った教材を使わなければ管理対象である大衆が好き勝手に自分の考えを繰り出しはじめて収拾がつかなくなる。
グローバリストの多くは教育の面でもエリートであるし科学に代わる大きな青写真を見つけたり開発したりする事はできなかったようだ。というより、そんな意欲もないのかもしれず、単に自分達の想定範囲内の学識のみを持った人間だけが生き残る世界で頂点に君臨できていればそれで満足なんだろう。
一流教師の本音は成績至上主義
凡庸な教師が成績をまず最初に生徒の人物評価の参考にするのは一般的な話だけれど、より柔軟な思想哲学を持っていて口では成績の事に直接言及しなかったり、或いは成績なんかどうでもいいというような建前を述べていたりする一流とされる教師が少なからずいる。
私は断言するんだけれど、こういった人達も全員例外なく成績以外の事は眼中になく、凡庸というか二流三流とされる人達よりも極端に成績の事しか考えてない。なぜそんな事が分かるのかと言われると言葉ではなかなか説明しづらく、権力の流れが見えるようになれば体感で分かるようになる。
成績の水増しはそれほど難しくない
これも私が自分自身で試してみて分かった事で、今までの「一度きり」の教育で学童期の間に一気通貫で教育が行われて人物の格付けが公にかつ密かに行われるわけで、持てる者になるほど何らかの取引を行ったり単純に課金したりする事で成績だけを伸ばす事ができる。或いは、部活動や社会貢献のような課外活動などで課金せずに自分の強みを生かす事もできる。学識としては認められてないけど実際は成績が伸びれば知能も強化してもらえるので形から入るのは十分ある。
更に、最近はオンラインの教材であったり無料の教材であったり、教育における格付けについてもセカンドチャンスが手に入るようになった。このような環境は特に米国で整備されており一見すると分からないけれど普通の学校と同じような情操教育のシステムもきちんと運用されているようだ。とはいえ、通常の教育の機会が何らかの理由で得られなかった人が主な対象となっている点は注意しなければならない。
学問の本質は手の運動
オンライン教育の現場だと特に分かりやすくチートができる場合がある。ある程度の学問到達度を達成している事は前提となるようなところもあるので厳密な表現をすれば極端に過程を省略できるという書き方が正確かもしれない。というより、チートする方法があるのに自分だけそれを使わないのは明らかに出遅れる事になるので選択肢としては有り得ない。
既存の教育機関だと謎の詰め込み教育で意味のない事を覚えたり分かりきっている演習問題をこなしたりしなければならず、そういった過程をこなさないとなぜか解けてしまう能力があっても理不尽な権力ゲーで徐々に実力を削り取られてしまう。どう見ても楽勝な内容ばかりだったので退屈な授業に出たり面倒な課題や試験の対策をしたりするのは本当に苦痛だった。この点が省略できるのは本当に素晴らしい。
気付くか気付かないかが運命の分かれ目
日本人は特に素直な人が多くて言われた事をそのまま信じてしまう場合がよくある。学問教育に限った話ではないけれど、要は結果が全てであって過程はどうでもいいという事は認識しておいた方が良い。というより、過程は贅沢品であって結果が生活必需品のようなイメージになるので、結果がないのに過程だけあっても何の意味も無い。
私はそのような希少種を尊重するスタンスではあるけど、自分の利害が絡むと手元が狂う事もあるし、心が動くような事があると正気を失ってしまう場合もある。やはり、自分の身は自分で守るというか独立不羈の精神を持って生きるのが一番だと思うので、学問的に自立する事をまずは目指した方が良く、その為に学び直しの機会が与えられているのは幸運な事だと思う。
教養は何をすべきかを教えてはくれない
過程を省略する大きな問題点の一つが、人格が成長せずに何でもできるアダルトチルドレンのような人達が誕生してしまう懸念がある事だ。そもそも結果を出す為に水増しが通用する事自体があまり知られていないものの、仮にそのような短縮形の教育で大きな権力を持った人材が大量に生まれたとして、世の中が良くなるかどうかは分からないという事になる。
もう一つの大きな問題として、サムシンググレートが伴っているかどうかという曖昧な話がある。より分かりやすく言えば「強運」を持っているかどうかで、窮地に陥った時にどうにか活路を切り開くような気概というかシステム的な調整を行う事ができるかどうかとも言える。中間層くらいなら持っていなくても大丈夫な事もあるけれど、教養で頂点に立つような指導者達はこのような「何か」を持っている事が求められる。
チート、ダメ、ゼッタイ。
その為には、人為的な圧力を加え過ぎず自然な過程で成長できるような環境の方が良いと言える事になる。ただ、それすらも自然の一部だと言われたら難しい話ではある。実践的には、チートを行うなら気付かれないようにやらなければならない。これは見つからなければいいという話だけではなくて認識の問題であって、相手にチートだという理解が生まれなければ大丈夫だ。
しかしながら、やはり真面目に生きるのが一番だと思うし、私自身も決してふざけているわけではない。総合的に見てチートの代償はしっかりと前払いで支払っているわけで、帳尻も辻褄も合っている。言い訳するわけじゃないが、最低限死なないレベルで調整しようとしたら多少のチートは御愛嬌という事になっただけで、自分なりに誠実な生き方をしていると考えている。
教育は打ち出の小槌ではないのか
そういえば、私の中で未解決な論点が一つあった。それは、教育成果による権力分配がゼロサムゲームなのか、或いは学歴の総和に応じて無限増殖していくのかという点だ。私の経験則上では学童期を通してボロクソの成績を取り続けた結果として、ボコボコにされて精神病棟送りになったくらいなので相対的評価が効いている点は間違いない。
しかしながら、世界的に見ると人口は増え続けているし見かけ上の学識もどんどん豊かになって科学技術の名の下に可能な事はどんどん大きくなっているので、その意味ではゼロサムではないというか通貨発行権を持つ中央銀行的なエンティティがあるのかもしれないとも感じる。基本的にゼロサムゲームで何らかの条件が満たされるとパイの総和が増えるようなイメージを仮説として持っているけれど、中の下くらいの私の経歴では天上の世界がどうなっているのかは知る由もない。
ミカエルとガブリエルとウリエル