どうか、私を陰府にかくまい
ヨブ記14.13
あなたの怒りが鎮まるまで私を隠し
私のために境界を定め
私を覚えていてください。
壁に耳あり障子に目あり
あまり深く考えずに適当な事を書き連ねていて気にも留めていなかったのだけれど、もしかしたら読んでいる人がいるのかもしれないと思ったのでもう少し真面目な内容を書く事にした。過去に書いていた内容は物議を醸しかねないというか、失礼なニュアンスを含むものが多かったのでなるべく客観的で有意義なものに書き換えようという事になった。
本ブログの趣旨と目的
まずはこのブログが何のためにあるのかという事について書かなければならない。正直に言うと、ただの思いつきなのであまり深い意味はない。何を扱うかについて言えば、アブラハムの宗教のルーツとしてのユダヤ人に対して学問的な関心があるので可能な限り客観的に考察していきたいという事で、それを書き残す事で誰かの考える材料になればいいくらいに思っている。巷でよく話題に挙げられるような陰謀系の話は全く扱わない。そういった都市伝説的な事には何の関心もない。
ブログのタイトルのユダヤワールドプログレスというのは、英語ではJewish World Progressと書けるわけで、直訳すると「ユダヤ世界が進歩する」という意味になる。なぜこんな挑戦的なタイトルを付けたのか疑問に持つ人もいるかもしれない。これもやはりそんなに深い意味はなく、現実のユダヤ人団体として世界ユダヤ人会議というのがあって、それを言葉遊びで変換しただけになる。即ち、World Jewish CongressのWorldとJewishの語順が入れ替わってProとConが入れ替わった。何か革命的な起こしたいという意匠を込めているわけではない。
ユダヤ世界と日本に接点はあるか
それで、陰謀的な文脈を排した上で敢えて生まれも育ちも日本人の私がユダヤ人や彼らを取り巻く事情や環境について議論する事に何の意味があるのかという疑問も当然生まれる事だろうと思う。探求する理由自体はとりもなおさず、最初に述べたようにユダヤ人がアブラハムの宗教のルーツとなる人種であるがゆえに、キリスト教やイスラム教を探求する上で理解しておかなければならない背景事情という事になるからではある。キリスト教が新約聖書だけではなくユダヤ教の聖書も旧約聖書として含めているのにもそういった事情があるらしい。
日本は彼の国々から見ると血統から見ても思想から見ても異邦人という扱いになるだろうと思う。聖書の舞台となったイスラエルやエジプト周辺の土地から遠く離れており、彼らの子孫が日本に辿り着いて繁栄したという史実はない独立した島国であり、何百年か前にスペインとかポルトガルとかその辺の西洋人が船で訪ねてきて布教活動を始めるまでは民俗信仰の神道とか中国から伝来した仏教とか、江戸時代では儒教とか、そのくらいだったはずだった。現代社会の覇権を今でも握っている西洋諸国は今でもどっぷりキリスト教に浸かっているし、新進気鋭の中東諸国はイスラム教を自分の命よりも大切にしているし、相互理解を進める上ではどうしても触れずにはいられない。
ユダヤ人が門戸を開いているわけではない
とはいえ、ユダヤ共同体は閉鎖的なコミュニティであって他所者を受け付けるような人達ではないと聞いている。実際にユダヤの伝統を受け継ぐ人と接する機会があったわけではないので定かではないものの、表に出てくるようなユダヤ教の資料は学問的な体裁を持っているものが多少あるくらいで、宗教史上の重要性に比べると極端に頼りになる文献がないというか、日本語に翻訳されたものがないというか、私が知らないだけかもしれないけれども、教育エリートならにべもなく突っぱねられる程ではないくらいだろう。
ユダヤ人の歴史を振り返ると、迫害の繰り返しでその度に団結し乗り越えてきたという物語が浮かび上がってくるらしい。義務教育レベルの歴史の教科書でも触れられるくらいには有名な話もある。興味本位で近付いていいような分野ではないかもしれず、一人で適当に空想を巡らせるくらいなら問題ないかとも感じつつ、何となく冒険者ロマンを抱きながらそのルーツを探り当てる事でユダヤ思想についての理解を深めるだけでなく、何らかの実益も得られれば楽しいだろうと能天気に構えている。私自身に何かユダヤ人やその世界と現実的な窓口があるわけではない。
宗教の本質について考えたい
要するに、宗教とは何かについて考えようというのがこのブログの趣旨で、それをユダヤ人の思想や歴史や慣習や実践の考察を通して行う事で一番メジャーなアブラハムの宗教に関する理解を深めて実現しようというコンセプトになる。やはり責任ある言説を展開すべきだとの自戒の意味で、以前書いた内容については綺麗さっぱり忘れて再出発する事にした。