私は言った
詩編39.1ー4
「舌で罪を犯さないように、私の道を守ろう。
悪しき者が私の前にいるうちは
口にくつわをはめておこう」と。
私は黙り込み、口を閉ざし
善いことについても沈黙した。
だが、私の苦痛は募り
私の内で心が熱くたぎった。
私の呻きで火は燃え上がり
私の舌で私は語った。
最近は趣味のプログラミングなどで忙しかったが、暇な時間ができたのでその間に考えた事を書こうかと思う。といっても、思いつきではあるが。
安い・早い・旨い
このキャッチフレーズは多分どこかのファストフードのものだった気がするが、人間でも安い人と高い人、早い人と遅い人、旨い人と不味い人がいる気がする。人材の攻略難度という意味では、安さは教育歴で決まる事になるのは明らかだが、早さと旨さに関してはどうだろうか。
人材評価において早さが何を意味するかという問題もあって、今回の場合はどの程度時間をかける必要があるかという話になる。つまり、安さと早さはカネと時間で一般的なサラリーマンのポテンシャルのような事になる。私の考えでは、早さは生まれつきの家柄で決まると思っており、家柄が良いほど遅い。
旨さに関してはやはり、どの程度の付加価値があるかという事になる。例えば、物凄い人脈を持っていたり、物凄い資本を持っていたり、政治・経済的な意味で有利になるような要素が付いてくるような場合である。そして、芸能人ってやばいんじゃないかと思ったという話をこれからする。
高学歴ではない芸能人
一般的に、芸能人は早いうちに自分の専門分野に進むので学問と二足の草鞋を履く人は少なく、学歴は低い人が多かった。ここ十年くらいは高学歴の人がクイズ番組で活躍したりするタレント的な人の場合もあるとはいえ、生粋の人達は勉強なんかしている暇無いので学歴は高くない。たた、元々の地頭は良い人が多いので割安案件だと言える。
士農工商ではない芸能人
芸能人は現代の奴婢のような身分になるので、強制労働で働かされるわけではないが社会的な位置付けは低い。最近は元々の家柄が良いのに自分から芸能界に踏み込むような変わった人が多いのでカオスな事になる面もあるが、身分的な意味では確かに間違いなくマイナス要素になる。王族や貴族の出だったりすると格安案件になる。
手土産でいっぱいの芸能人
そして、その過酷な位置付けにも関わらず芸能人はお金持ちの人が多いだけでなく様々な分野の有識者に伝手がある事が多い。自力でどんなに努力してもコネクションを築けそうにないような道への可能性がいとも簡単に開ける事があるし、既存の道筋が確立していないキャリアを切り開こうとした時に簡単に実現できる事もある。
攻略難度は高いのか
以上の基準で考えると、芸能人はお買い得であって価格崩壊しているといっても過言ではない。にも関わらず、芸能人を獲りにいく人はそんなに多くないのが不思議である。冷静に考えたら他の私財を全部投げ売ってでも買いを仕掛けるのがファイナンシャル・リテラシーを持つ人の当然の判断である。
私自身は芸能人を鑑賞しているだけで狙っているわけではないので、というより底辺過ぎて狙いようがないので、具体的にどんな困難があるのかは分かってないんだが、手が届きそうな中堅の一般人でも全然住む世界が違うと考えているのは中々残念な話だと思っていて、釣り合わざるは不仲の元的な感じになると思うので、あんまり高尚な人達の射程には入らない。
それに一頭買い(家畜ではないが)しなくてもみんなでシェアするような所有の仕方があると思うので、伴侶とか唯一無二の盟友を目指さなくとも建設的なコネクションを築いて恩恵にあずかる事は十分に可能であるだけでなく、そういった形で恩恵を受けている人は大勢いる。ただ、最終的に身の丈にあった個人が全額出資した方が一般人と同じような幸福を築く未来を目指せるだろう。
性と暴力の密接な癒着
そういえば、風俗の人って普通は任侠系の人と結婚する事が多い。それで何となく思ったのが、芸能の上位層の人達の場合は多分、インテリヤクザを伴侶に選ぶんだろうなという事だった。資産家の経営者とかスポーツ選手とか安牌を選んでいる人が目立つので金で判断してると思われがちだけどもそうでない人も大勢いるし、金は一般人からいくらでも巻き上げられるので大した問題ではなく、結局、暴力の多寡が全て決めてしまっているのだと発見した。
私が精神病患者になって良かったなと唯一思ったのは、社会的弱者に分類される為に芸能人が一般人を相手にする時のように単なる金銭の巻き上げの対象とせずに割と素で接してくれる部分がある点だった。それに、精神科の経験があってある程度の教養を持っていれば精神医学的暴力や深層心理学的暴力が身に付いたり、私の場合は特に宗教家なのでそういう因果関係不明扱いになる暴力的手段もあるので、実は配慮の対象になるだけでなく有力な狩りの対象になるという笑。
もっといえば、宗教的な権威である聖と暴力にも密接な癒着がある。聖の世界は自分達の目的を積極的に叶える為に連携しており、性の世界は主に自衛の為に連携しているわけだけど、どういう理由にせよどちらも暴力の利権が絡むと本気を出すのは同じである。インテリになるのも難しいけどヤクザになるのも上位層になるにはかなり特殊な教育が必要なので簡単ではない。両方の教育を適度に受ける事ができてかわいい女子が好きな私は本当に運が良かった。
邪悪とは何か
宗教をやっているかどうかに関わらず、何らかの思想を追求していくと善悪の問題に突き当たる事がある。自分の信じている教祖や絶対者の存在にも関わらず、なぜ彼らが邪悪と断じる存在や言動がこの世から一向に無くならず、寧ろ逆に邪悪が蔓延しているようにすら映る事がある為だ。一般論として私はこの問題に回答する事はできないけれども、とりわけ宗教に関してなら一定の論点を提出する事はできる。簡単に言えば、聖典に邪悪が定義されていて物語の中に組み込まれている為、結局その存在が認められているからだと考えている。
大抵の場合は聖典には当然だけど禁止事項が出てくるし信じるべき唯一の対象が出てくるし、その規範を逸脱した戦うべき敵が出てくるようになっている。物語の構成上そういう風になっているので全員が全員善人で平和な世の中だと上手く解釈するのが難しい。こういう書き方をすると原理主義に過ぎていて教えの本質が捉えられていないと言われそうだけれども、聖典を字句通り実践する生き証人がいてこそその教訓を昇華する事が現実的に可能になるので、少数の原理主義者は必要悪という事になり、その中には悪人も存在する事になる。
科学技術を用いてこのような難問を解決できるのかどうかは教養不足の私にはよく分かっておらず、少なくとも現時点では聖典の御言葉に対する「共通の平和的解釈」が存在しない為に現実を良くしようといくら取り組んでも一定数の見落としが生まれる事になる。だからといって聖典の内容を良い方向へ書き換えたり正典の内容を組み替えたりするような論理的な試行錯誤が実るとも思えない。かといって宗教に代わる心の糧が見つかる可能性も皆無というか権力移行が不可能だと考えているので、私には悪を無くす方法は見つけられなかった。だから、科学者にはあらゆる意味で期待している。
ウリエル