自分の物を自分のしたいようにしては、いけないのか。それとも、私の気前のよさを妬むのか。』このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」
マタイによる福音書20.15,16
なんか暇なので最近思った事を適当に書いていこうと思う。とはいえ、あんまりやる気ないので短めになる。前にも書いた通り、私の家族は陰謀論に近い立場で活動していて、陰謀論界隈ではたまに体制側からの粛正が入るので、突然死したり犯罪者に仕立て上げられたりする事がある。私個人は特にどちら側についている訳でもないけれど、不毛な事に労力を費やし続けるのはどうなのかなという印象はずっと持っている。
政治はゼロサムだと理解しているか
まず最初の問題として、政治活動に勤しむ人達は必ず世の中を良くしたいとかより世界を豊かにしたいとかそういう話をするんだけど、政治自体は資産を右から左に動かすだけで特に全体の取り分を増やすような効能無くて、その辺がよく分かってないんじゃないかという気がする。どんなに美辞麗句を連ねても実質的には単なる殴り合いありの綱引きなので大相撲よりは見にくい戦いになる。
政教分離のまやかしを理解しているか
次の問題として、政治活動に打ち込む上で政治と宗教は分離して考えないといけないという法律のような前提があって建前上は守らないといけない事になっている。こういう規定があるのは多分なんらかの歴史的背景があるんだろうけど、私はよく知らない。多分調べれば分かるんだけど、少なくとも理解できない。個人的には、単に宗教団体が株主で政治団体が従業員というような捉え方をしているので、例えば宗教団体から独立した政治団体というのはかなり考えにくい。アメーバじゃあるまいし頭が無くて手足だけあるような前提で全体像を捉えようとするとかなり混乱するだろう。
お金の流れに着目するならただの経済学
政治に関しては以上の2点くらいが気になったんだけど、金銭面の融通を期待するのであれば単に経済学の勉強をした方が良いと思うので、なんか色々と小難しいニッチな事をやるより正統な経済学の学位でも取った方が効率は良いんじゃないかという気がするし、日常生活を回すくらいなら高校レベルの公民を勉強し直すくらいでも効果あると思うので。
結論:見た目だけではなく中身も見るべき
まぁ、当たり前だけど、見かけ上の言動に振り回されるのではなく、問題となる主体の中心にある考え方の核心に迫るべきであると。でないと、何も話が進まない。政治的には話が進まない方が都合が良いんだけれど、本当に何か変えたいならラットレースで遊んでいても仕方ないのはある。