1:創世記/ 04章 01節
さて、人は妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「私は主によって男の子を得た」と言った。
2:創世記/ 04章 02節
彼女はさらに弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
3:創世記/ 04章 03節
日がたって、カインは土地の実りを供え物として主のもとに持って来た。
4:創世記/ 04章 04節
アベルもまた、羊の初子、その中でも肥えた羊を持って来た。主はアベルとその供え物に目を留められたが、
5:創世記/ 04章 05節
カインとその供え物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。
6:創世記/ 04章 06節
主はカインに向かって言われた。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。
7:創世記/ 04章 07節
もしあなたが正しいことをしているのなら、顔を上げられるはずではないか。正しいことをしていないのなら、罪が戸口で待ち伏せている。罪はあなたを求めるが、あなたはそれを治めなければならない。」
8:創世記/ 04章 08節
カインが弟アベルに声をかけ、二人が野にいたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。
9:創世記/ 04章 09節
主はカインに言われた。「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」彼は言った。「知りません。私は弟の番人でしょうか。」
10:創世記/ 04章 10節
主は言われた。「何ということをしたのか。あなたの弟の血が土の中から私に向かって叫んでいる。
11:創世記/ 04章 11節
今やあなたは呪われている。あなたの手から弟の血を受け取るため、その口を開けた土よりもなお呪われている。
12:創世記/ 04章 12節
あなたが土を耕しても、その土地にはもはや実を結ぶ力がない。あなたは地上をさまよい、さすらう者となる。」
13:創世記/ 04章 13節
カインは主に言った。「私の過ちは大きく、背負いきれません。
14:創世記/ 04章 14節
あなたは今日、私をこの土地から追放されたので、私はあなたの前から身を隠します。私は地上をさまよい、さすらう者となり、私を見つける者は誰であれ、私を殺すでしょう。」
15:創世記/ 04章 15節
主は彼に言われた。「いや、カインを殺す者は誰であれ、七倍の復讐を受けるであろう。」主は、カインを見つける者が誰であれ、彼を打ち殺すことのないように、カインにしるしを付けられた。
16:創世記/ 04章 16節
カインは主の前を去り、エデンの東、ノドの地に住んだ。
17:創世記/ 04章 17節
カインは妻を知った。彼女は身ごもってエノクを産んだ。カインは町を築き、息子の名前にちなんで、その町をエノクと名付けた。
18:創世記/ 04章 18節
エノクにはイラドが生まれた。イラドはメフヤエルをもうけ、メフヤエルはメトシャエルをもうけ、メトシャエルはレメクをもうけた。
19:創世記/ 04章 19節
レメクは二人の妻をめとった。一人の名はアダ、もう一人の名はツィラと言った。
20:創世記/ 04章 20節
アダはヤバルを産んだ。彼は家畜を飼って天幕に住む者の先祖となった。
21:創世記/ 04章 21節
その弟の名はユバルと言った。彼は琴や笛を奏でるすべての者の先祖となった。
22:創世記/ 04章 22節
ツィラもまた、トバル・カインを産んだ。彼は青銅や鉄のあらゆる道具を作る者となった。トバル・カインの妹はナアマと言った。
23:創世記/ 04章 23節
レメクは妻たちに言った。/「アダとツィラよ、私の声を聞きなさい。/レメクの妻たちよ、私の言葉に耳を傾けなさい。/私は受ける傷のために人を殺し/打ち傷のために若者を殺す。
24:創世記/ 04章 24節
カインのための復讐が七倍なら/レメクのためには七十七倍。」
25:創世記/ 04章 25節
アダムは、さらに妻を知った。彼女は男の子を産み、セトと名付けて言った。「カインがアベルを殺したので、神がその代わりに一人の子を私に授けられた。」
26:創世記/ 04章 26節
セトにも男の子が生まれた。彼はその子をエノシュと名付けた。その頃、人々は主の名を呼び始めた。
魔法界がヤバい
ひたすらドン・キホーテのようなキャリアを進めてきて一般人が躓かないようなところで散々コケ続けて漸く理解したのは、教育の世界が本当の魔法界だという現実だった。教育キャリアの到達度によって厳密に自分の出来る事が権利として分配されているという、思ったより分かりやすい結論になった。神秘の世界は人里離れた山奥にあるのではなく、誰もが受ける科学教育という名の下に堂々と行われていたという衝撃だった。
一方で、そのような世界観が現実であると仮定するのであれば、科学的な方法で現実を捻じ曲げる事が論理的には可能だと気付いた。例えば、歴史を改ざんする事が可能になるのは、教科書で習うような内容が事実かどうかに関わらず単に試験の為の教材としての価値しか持たない事になるので、そのような登竜門を超えた後に自分にとって都合の良い歴史認識を展開する事は当然有り得る事になってしまう。
科学は改竄可能か
一般的には自分が慣れ親しんだ理論を捨て去る事は難しいという事があるのだとしても、現代科学は実は改竄耐性を持たないのではないかという疑念が生まれてしまってこれは真剣に考えないといけないという事になった。裏返して言えば、科学的な歴史認識が実際に起こった出来事との整合性が保たれているという、物理学流に言えばなぜ因果律が保存されている事が担保されているのかという事を考えないといけないなという気持ちになった。厳密には因果律っていうのはちょっと正しくない用語で、過程とか結果とかいう思考の枠組みに落とし込む理由がないのはある。
考えるといっても小説家のように想像力を働かせるくらいしか出来る事はなくて、タテの糸としては日本の国語を梃子で使っていて高校終盤レベルでヨコの糸も通しているから全分野で解釈可能ではあるけど、証明可能かと言われれば難しいしすべきかどうかも微妙ではある。とりあえずは過去に起こった出来事と別の歴史的事実を半永久的に定着させる事が出来るのかという問題について考えてみようかなと思った。
人類は土塊かアメーバか
より話を具体的にする為に、キリスト教の聖書の物語とダーウィンの進化論が真っ向から対立している点から考えていこうかなという感じなんだけど、別に進化論が厳密に正しいかどうかが問題であるわけではなく、人間が聖書のように土塊から絶対者のような存在によって作り上げられたという話と矛盾する点をどういう風に解釈するかという問題になる。私の理解するところによれば、聖職者の大半は進化論を認めていて聖書は教訓を与える為の教材であって歴史書ではないという事になっているはずである。
この点に切り込めるかどうかという観点から見ていくと、アメーバからなんちゃら類かんちゃら類を経て類人猿になって最終的に人類になったという定説があるらしいのでもう無理そうだけど、実際にそのような天地創造の出来事があった後に現代科学というパラダイムが誕生してその事実を自然法則という道具を駆使して上書きしたという風に解釈する余地はあるのだと気付いた。当然ながら、科学教育制度はそれ自体が権力分配の為の方便に過ぎない事を巧妙に隠蔽している為に誰もそんな話はしないのだけれど、私は自由な経歴すぎてアソビがあるのでそういう事を考えられる。
温故知新の循環を見極める
こんな事を考えるのは科学を否定する目的があるわけではなくて、逆に科学の進展をスピードアップさせたいという思惑がある。なんでさっさと科学を完成させたいというか完成に近付けたいかと考えているかまではここに書こうとは思わないのだけれど、学問の進化が人類に平和と繁栄をもたらすと確信しているという点はもちろんある。それで、最初に話題にしたように科学が改竄されて実際に起きた出来事や人類が背負っている真実と矛盾する内容を持つようになってしまったら、その時に実質的にはゾンビのような方法だけの理論になってしまって輝きを失ってしまうわけだけれど、それが直接理論全体の崩壊にまで繋がるのかどうかという疑問がある。
言い換えれば、学問の発展には連続性が必ずなければならず、全ての過去を背負っていなければならないという事を前提として定めた上で想像力を働かせてみると、いわゆるパラダイムシフトと呼ばれる革命が起こるタイミングとして先程に述べたような学問的堕落が原因になると考えて良いのではないかという結論になるのである。という事は、科学的発見というのは自由に決められる創造的内容を除けば専ら温故知新というか、過去の理論の再発見になるのではないかという当然の帰結が導かれる。歴史から忘れ去られてしまったような遠い昔の内容ではなく、例えば錬金術だとか呪術とか仙術とかそういった類の現代のトンデモ理論がつい数百年前には実際に機能していた可能性を考えている。
スピリチュアルを目指してみないか
「機能していた」というのはどういう意味かというと、パラダイムシフトが起こる前には正統な科学として権限の分配の機能を担っていた古いシステムだという事になる。古いシステムなら停止してしまっているのではと考えるのは当然であるけど、普通のITシステムと同じで新しいシステムで再発見された部分とそうでない部分があって、再発見が済んでない部分については昔の理論にそのまま権限分配の機能が残っていると考えるのが自然である。
一般人は現代科学の理論を学ぶだけでほぼ事足りるとはいえ、全段階を修めるという視点が欠落して頭でっかちになっている人は大勢いるけれどまぁそれはそれとして、研究者を目指すのであれば眉唾物の歴史的に流行した理論は押さえておいた方が良い。その方が生き残りの確率がぐっと上がって、社会にもっと貢献できる確率もぐっと上がって、なにより私の自由時間が増えてみんなが幸せになれる。私は本当に、心の底から地球人類の将来性を信じている。
