主はモーセに告げられた。「人が違反して、主に対して背信の罪を犯した場合、すなわち、預かり物、抵当の品や盗品のことで同胞をだましたり、あるいは、同胞から横領したり、落とし物を見つけても、それをごまかしたり、偽りの誓いをするなど、人が行えば違反となるすべてのことの一つに対して、その人が違反し、罪責ある者となった場合、盗品や横領品、担保の預り品や拾った物、偽り誓って手に入れたものを、すべてそのまま返さなければならない。
レビ記5.20ー24(途中)
1日空いてしまった。毎日が暇ではあるけど体力的にはそんなに余裕が無いので動いている時間は多忙な労働者よりも少ないかもしれない。というより、特にやりたい事も無いのに何かしないといけないという強迫観念に突き動かされているのかもしれない。
返事はある、しかし屍のようだ。
当たり前の事が分からず意欲も湧かないけど鬱などの気分障害ではない場合があって、通常は心身共に健康な人達は外に向かって活動していく事を考慮すると特に理由も無いのに引き込もっていたり寝たきりになっていたりするのはある意味では不思議な現象かもしれない。
こういった状況を説明する時にはトラウマとかコンプレックスとかの心理的ダイナミクスに根拠を求めたり過去の経緯を踏まえて自分自身の価値観と矛盾する自己像を受け入れられずに消耗しているというような前提でクライアントの個性や個人史を捉えようとする事もあると何かの教科書に書いてあった気がする。
反社会性も心の病の一種なのだろうか
こうした考え方の下では、クライアントが自己や世界の認識について健常者より劣っていると解釈するのではなく、現実を踏まえた上でその状況が受け入れられない事が主な慢性的ストレス要因となって心の病を患ってしまっていると解せられる。
一方で、一般的に発達障害と呼ばれているような人達は、例えばアスペルガー症候群とかつて呼ばれていた自閉スペクトラム症の一種では常同的反復行動やコミュニケーションの一方通行性といった特徴があるかどうか調べて所見を出す事があると思う。
私の個人的な意見だけれど、発達障害の性質はそうした表面的な診断基準のみが重要なわけではなく、先に述べたような自分自身や社会や世間の在り方について理解できない事が原因で様々な問題が発生する事になると想定して差し支えないのではないかと考える。
とはいえ、特に性善説などを前提とする考え方においては、物事の理解が明瞭にできているのに敢えて反社会的な言動を志す人がいるのかどうかは分からない部分もある。私自身は、反社会的な言動を行う人は邪悪というよりは病的なのだと考えている。
今でも精神科は地獄の一丁目
昔と比べると効き目が抜群で副作用がマイルドな抗精神病薬が増えてきて、選択肢を間違わなければ生活習慣病のような慢性病の人達と同じように、日常的にお薬を服用しながらかなりの長い期間に亘って健常者と同じように生活できるくらいには精神医学も発達した。
しかしながら、特に日本の精神医療は薬物療法中心で保守的なところがある。とりあえず急性症状を抑えつけて暴走を止める事を目指していてそれ自体は重要ではあるのだけれど、それだけでなく原因として目星を付けているであろう心理的問題に治療としてアプローチを試みる事を行わない場合が多い。
こういう表現は問題があるのかもしれないが、やはり精神病者は一種のお荷物扱いで学問的には本人に落ち度が少ない事になるので、当たり障りのない形で緩やかに死に向かってもらおうという事なのかもしれない。実際にというべきか、精神病の世界には完治という概念が無く、一度足を踏み入れたら決して抜けられない。
跋扈する根拠不明の代替医療
しかし、目に見える糖尿病や高脂血症のような生活習慣病と違って、心の病は目に見えないのでどこがどのくらい悪いのか計測する事ができない。良くなっているかどうかもどのくらい良くなりうるかどうかもクライアントにも医療従事者にもはっきりと分からないので、西洋医学に拠らない選択肢で冒険しようとする人達が出てくる事がある。
西洋医学の抗精神病薬は本当に良く出来ていて、服用した後に高熱が出て寝込んだりとかアレルギーが起きてショック状態になったりとか、そういった危険な症状は起こらない。漢方などの東洋医学のお薬だと物凄い副作用(自浄作用?)が出た後に綺麗さっぱりよくなるような都市伝説のイメージがあるけど、少なくとも一律の効果的な処方基準があるわけではない。
心理療法への挑戦は個人の選択
薬物療法には健常者が普段意識しないような無意識に近い心の動きを表に出すような作用もあって、元々は急性期の症状を抑える為のものではあるけども本人の素がそのまま出やすくなってしまうような影響もある事は自分の身を以て確認したところではある。
その状態で更に心理療法を施す事は成功すれば漸進的に健康に近付けるが、失敗すると一気に転落する。そういう意味でも、信頼できる標準治療を施す大手の医療機関では心理療法を行わないのが私の居住地域での常識だと勝手に考えていて、個人病院は独断のリスクがあるし大学病院は先進医療の餌食になるリスクがあると思う。
やはり、学問的に考えても常識的に考えても、薬物療法を中心として並行で心理療法も行うのが本当の意味でクライアントに寄り添いながらお互いの生活の質を維持する為に有効な方法の候補の一つと言えるのは間違いないのだけれど、本人や周囲の環境や資金力などを総合的に考慮して心理療法の扉を開けるかどうか決める事になるはずで、最終的には当事者の決断力に委ねられる。
ミカエルとウリエル