「知識もないまま主の計画を隠すこの者は誰か。」
ヨブ記42.3
そのとおりです。
私は悟っていないことを申し述べました。
私の知らない驚くべきことを。
今までの結論では、学問を修めると同時にその専門性に応じた神通力が身に付いて表向きの学問的知識とは切り離された形で運用されるのだと本気で信じていた。つまり、学問的知識は試験の為のもので通過儀礼に過ぎないと考えていた。
学位は存在論ではなく認識論だったらしい
ずっと客観的真実を追求する事を重視していたわけだけれど、高い学問的到達度に辿り着いた人材が優れた特殊能力も手にするのだという前提は私自身にとっては不利な結論だった。わざわざ不思議な力に魅せられて学問なんかすっぽかして飽きたのもあるとはいえ大学も何度もドロップアウトしたのに、実は高等教育機関が神通力に関する利権も握っていたのだという結論はあまりにも悲しいすれ違いになってしまう。ただ、より厳密に考えるとそうではない気がしてきた。
まず、現在の世界では武力ではなく知力が物を言う世界であるという事は念頭に置いてもらって、或いは少なくとも知力で武力を操る状況がほぼ100%成立する事を仮定してもらうとして、知力を実現する方法としては権力的方法と能力的方法がある事に気付き、自然科学を中心とした科学全般は主に能力的方法によって得られる知識を体系化したものである事には気付いた。能力的方法と言われてもピンと来ないとは思うけども、とりあえずそういう分け方があると分かった。
学者は真実を「発見する」のではなく「決定できる」
科学以外の様々な分野を少しずつ齧ってきて漸く科学の世界を相対化して捉える事ができるようになってきて、どうも学位を持った科学者は真実の学識を「発見する」のではなく「決定できる」利権を持っている事が明らかになってきた。様々な小規模とは言えない事件や災害が起きると、統率が乱れてどう見ても現実と食い違う主張をする御用学者が大量発生すると同時に、その不正を訴える挑戦者が出てきて一悶着起きた後に、最終的に和解とまではいかないまでも落とし所が見つかってズブズブになる、という事の繰り返しを何度も目の当たりにした。
この現実を解釈しようとしたら、今までは学者全般が邪悪な精神の持ち主で更生の余地もなく巨悪が蔓延っていると捉えるしかなかったのだけれど、仮に学位を持つ事が学識に関する決定権を持つ事を意味するのだとしたら、彼らは単に自分の権利を行使しているだけであり、至極当然の事をしている事になる。なぜなら、彼らは「真実の知識」が固定されたものではなく権力系有識者によって揺れ動く流動的な虚構であると同時に、自分達の仕事は悪く言えば辻褄を合わせる事であり、良く言えば人々の心をまとめる事であると、悟ったに違いないからである。
情緒の多様性と科学理論の安定性の矛盾
こういう事を書くと、例えば万有引力は常に成立しているし、何らかの物理学の実験を行えば常に理論と一致する観測結果が出るし、医学や工学などの応用科学ではともかく、自然科学のレベルでそのような八百長が起こっているとは到底信じがたいと考える人も出てくるとは思う。確かに、現代物理学の非決定論はさておき、少なくともマクロのレベルでは古典物理学や相対性物理学の通りに物事が運ぶように感じられる。だからこそ、私も最初は学問の履修が神通力を得る為の登竜門なのだろうという結論になっていた。
ただ、そういう風に考えると学者達はあまりにも優れた演技力を発揮している事になるし、権能が一致している状況で科学理論が安定していてほぼ全く既存の理論には変動がなく少しずつ積み増ししていけるだけである事も、学者達があまりにも慎重すぎる人しかいないという結論になってしまって、論理的にはともかく人の心という意味では違和感は拭えなかった。それで、暫く経って気付いたというか、元々気付いていたけどあんまり考えていなかったのは、権力系有識者が学位の分布の通りに世界をシミュレーションすれば、シミュレーションの精度が高ければ「ごくたまに」自分の観測範囲で科学理論と逸脱している事が起きても気付かない可能性が高いという事だった。
科学は悪魔が作ったのだろうか
正直、まだ自信を持ってこれが正解だと言えるような結論にたどり着いている訳では無い。科学の世界で閉じていてそれ自体で完結していて、例えば応用科学の専門家が無茶苦茶やりまくって自然科学の専門家が辻褄合わせをやりまくってる解釈も全く無いわけではないので、ただそれだと、やっぱり邪悪な人達の集まりという事になってしまって、特に医学科なんか良家出身の紳士淑女が多いので原理的にそこまで邪悪になるような経験を積むとも思えず、論理的には考えられても人の心という意味ではやはり有りそうにない。
このような世界は科学が完全に実権を握った世界像という理想として教えるべきかもしれないけど、現実は恐らくそうではなく、科学はあくまで認識論の利権を歴史のどの時点かで既得権益から譲り受けて実際には権力の所在を誤魔化す為に存在している悪魔の体系であり、マイナスサムの奪い合いを本質とする闇のゲームであるというのが、現時点での考えになってしまった。以前より改悪のような気もするものの、罪を憎んで人を憎まずの原点に立ち返って考えてしまった。